こんなことがありました

2019年7月の記事一覧

お知らせ 横長の3代目校舎 ~創立146周年特集③~

  炭鉱の隆盛による児童増に伴い、大正6年(1917年)から、校地の拡張と校舎の増築・改築が進んでいきました。旧校門も、この流れの中で、大正7年(1918年)12月1日に地域のみなさんの寄付で建てられたようです。大正初期までは、カヤの木の校門だったと言うことで、この花崗岩の校門は、地域の願いがこもっている大切な門標であると言えるでしょう。

 次の写真は、昭和3年(1928年)に校舎を増築し、「川部村立川部尋常高等小学校」が開校したときの写真です。この頃は、南向きの東西に長い校舎が2棟並んでいました。

 当時の小学校は、「初等科」4年、「高等科」4年に分かれていましたが、川部には開校以来「初等科」しかありませんでした。「高等科」に進みたい場合は、「窪田尋常高等小学校(現在の勿来一小)」に行くしかありませんでした。(この写真には「開校式記念」とありますが、高等科は、大正9年から置かれていました。)

 写真の校長は 第18代校長 伊東芳松先生(大正14年~昭和7年)です。

 昭和14年(1939年)には、児童数が1,000人を超え、昭和16年(1941年)2階建ての第3校舎が建てられました。この長い校舎が3列(南から第1校舎・第2校舎・第3校舎)並んでいた3代目校舎は、なかなかの眺めだったと思われます。

 しかし、この当時の校舎の建設費は、川部村だけではまかないきれず、学校林を売却したり、炭鉱からの寄付を充てたりして、たいへん苦労して建てたと記録に残っています。(建設費用の30%程度は学校林や炭鉱からの寄付だったようです。)

 ※学校林・・・学校建設には多額の費用がかかることから、学校の基本財産として山林を保有していました。旧小川村や旧山玉村などが保有していた山林の寄付によって、山林の樹木を使って校舎を建てるだけでなく、樹木を売ってその売却益を学校建設の基金に充てたりしていました。

 

 この写真は、昭和30年頃の第1校舎の写真です。正面玄関の右側の木は、キンモクセイだと思われます。「創立100周年記念誌」によると、校地内にはサクラ(ソメイヨシノ)のほかにも鈴掛の木(プラタナス)やセンダンの木、アカマツ、クロマツなどいろいろな樹木があったようですが、今も残っている古い木といえばサクラ(ソメイヨシノ)とキンモクセイでしょう。キンモクセイは、今も玄関前で元気に枝を伸ばしています。(昨年は剪定した後で元気がありませんでしたが、今年は樹勢を取り戻しています。)

 

お知らせ 幻の初代校舎・謎の2代目校舎 ~創立146周年特集②~

 明治6年に浄円寺の寺子屋で始まった温故小学校(川部小学校の前身)ですが、明治20年(1887年)に現在の川部小学校がある敷地に校舎を建てました。しかし、この初代校舎がどのようなものだったのか、残念ながら学校に資料が残っていません。

 明治31年に2代目校舎に改築されます。このとき、初代校舎は川部第二尋常小学校(沼部)に移築されたという記録が残っています。(明治31年改築の校舎は、昭和58年に現在の校舎ができるまで、一部が残っており、理科室として使っていました。)

 この2代目校舎をもとに、明治の終わりから大正初期にかけて、増築・改築を続けていくわけです。

 大正初期の校舎のことは、創立100周年記念誌「かわべ」に載っています。

 ①正門(門柱はカヤの木)  ②古校舎  ③西校舎  ④便所  ⑤本校舎

 正門は、節くれだったカヤの木を削って、焼いて防腐処理をしたものだったと記録されています。校地内には池があり、校地脇には堀があってそこで足を洗って学校に入ったという記録もあります。

 いったい、上の写真はどこから校舎のどの部分を撮影したものなのでしょう?

 すみません、ご存じの方がいらっしゃいましたらぜひ教えてください。

 

注意 自分を守るために必要なことは ~防犯教室~

 7月5日(金)、学校開放においでいただきありがとうございました。

 2校時目は、いわき南警察署の方々を講師にお招きして「防犯教室」を行いました。

 今回は、1~3年と4~6年に分かれて、それぞれ、不審者対応、SNSの危険性について学習しました。

 1~3年生は、スクールガードリーダーと、いわき南警察署の方から不審者にあったときの行動について教えていただきました。

 「いかのおすし」はみんな知っていましたが、この日は、不審な人との距離の取り方、大声で逃げることを、実際に体験しながら学習しました。

 また、最後に楽しい夏休みを送るために、万引きなどの犯罪は絶対にしてはいけないことも、みんなで確かめました。

 4~6年生は、いわき南署の方から、チャットによる犯罪に巻き込まれないために何をしなければいけないか学習しました。

 DVDを視聴して、実際にあった恐ろしい事件について知り、ネットは便利だけれど個人情報や写真を送ることで、恐ろしい事件に巻き込まれること、そしてそうならないために・・・

 「あとがこわい」の合い言葉を確かめました。

 川部地区は、地域全体で温かく子どもを育てる雰囲気がありますが、一歩外に出ると、子どもたちの回りには危険がたくさんあります。子どもたち一人一人が、自分の心と体は自分で守るという心構えと実践する力を育てることが大切です。

お知らせ 解明! 旧校門の設置年!!! ~創立146周年記念企画①~

 7月3日(水)は川部小学校の創立記念日です。146周年になりました。昼の校内放送で、子どもたちには、校舎の変遷と、今年度、校長住宅門から移設した校門門柱について話をしました。

 この門柱、1本の裏側に「12月1日」と刻印されていますが、何年に建てられたものか分かりませんでした。

 もう1本の裏には寄附者として、建立時の川部村長・助役・校長、村議会議員などのお名前が刻まれていました。そこでこの村長と校長の在任期間を調べてみました。

村長  蛭田音次 さん 任期 大正4年1月13日~大正8年1月12日

校長  佐川久吉 さん 任期 大正7年6月15日~大正11年6月14日

 2人の任期が重なっているのは、大正7年6月15日~大正8年1月12日です。となると、12月1日は大正7年(1918年)しかありません。

 というわけで旧校門門柱は、今年101年目を迎えるということになります。

 創立100周年記念誌「かわべ」によると、大正の初めの頃は「カヤの木」の表面を焼いて作った門柱だったそうです。

 当時、大正6年から3年間にわたり、校地を拡張し校舎の新築・増築を行いました。これに合わせて寄付を募り、この門柱を立てたのではないかと思われます。この花崗岩の門柱は、川部のみなさんの学校へ寄せる思いがこもった大切なモニュメントであることが分かりました。

お知らせ 走る・跳ぶ・投げる ~体力・運動能力テスト~

 7月2日(火)、梅雨の合間をぬって、体力・運動能力テストを行いました。

 この日も縦割り班で活動しました。1・2・3年生の記録を上級生が数えたり記録したりして進めていきました。6年生を先頭に下級生をを導き、予定より短い時間で完了しました。

 1・2・3年生も、慣れない種目もありましたが、一生懸命取り組みました。下学年も、上学年も、1学期の成長のあとを感じさせられた1時間でした。

お知らせ ヘルシー、夏野菜おべんとう ~ふれあい弁当デー~

 7月1日(月)のふれあい弁当デーでは、朝早くから(前日から)親子でお弁当づくりに取り組んでいただき、ありがとうございました。

 お弁当を食べる前に、縦割り班ごとに、自分のお弁当についてアピールを行いました。

 今回のテーマはヘルシー夏野菜です。それぞれお弁当に入れた夏野菜とヘルシーなメニューについて語っていました。栄養はもちろんですが、赤・緑・黄色と、彩りにも注意して見た目もおいしそうなお弁当がそろいました。

 野菜だけでなく、夏の果物を持ってきた子どもも多く、おいしく、仲よく、お弁当を楽しんだ50分間になりました。

お知らせ 星に願いを ~七夕集会~

 7月1日(月)、全校児童で七夕集会を行いました。

 縦割り班に分かれて、それぞれの願を発表し合いました。サッカーが上手になりたいとか、自分の将来の夢に関するお願いがありました。

 その後、笹竹に短冊をつるしましたが、少しでも高いところに付けて長いが星に届くようにしている子どもが多く、とてもほほえましかったです。

 1・2・3年生が作った色紙の飾りで、きれいに飾り付けができました。