植田東中学校 Ueda Higashi J.H.S.
昨日、1組男子の証書授与の様子をビデオで配信しました。
本日13日に1組女子から3組女子までの授与の様子をビデオ配信しますが、容量の関係で、スマホレベルであれば、クリアに見れますが、パソコンやタブレットですと、クリアな画質になりません。ご了承ください。
なお、1組男子レベルの画質で見れるように月曜日に試行してみますので、暫くは今日の配信でお願いします。
卒業式では、卒業生が退場した後に、保護者の皆様から盛大な拍手をいただき、本当にありがとうございました。
昨日12日は、福島県立高校の合格発表より一足早く、茨城県立高校の合格発表があり、本校から受験した進学校の日立一高に見事に合格しました。おめでとうございます!
明後日15日は、いよいよ福島県立高校の合格発表です。卒業生全員の合格を切に願っています!
本日12日(金)午前9時30分から始まった「第25回卒業証書授与式」は感動とともに無事に終了しました。卒業生72名全員の一人ひとりの心に響く素晴らしい式になったと自負しています。
式では、卒業証書授与の段階から涙ぐむ生徒もおり、志賀美友さんの答辞での涙で会場は感動のるつぼと化しました。 式歌では、もらい泣きする生徒が波状的に増え、式歌を歌いきれるか心配しましたが、卒業生の男子が凛々しくそして在校生がサポートして素晴らしい式歌になりました。
そして、予定通り10時40分頃に厳粛な式は終了しました。その後、卒業生によるサプライズや「旅立ちの日に」の歌で感動的なエピローグを迎えることができました。
改めて、卒業生全員が出席しての卒業式、おめでとうございました!
この後、ビデオで撮影できた部分を掲載していきたいと思います。
【卒業式後の学級での集合写真】
(1組)
(2組)
(3組)
校長の道徳特別授業で話した内容を全文掲載します。
「東日本大震災から1 0 年を経て」校長による特別授業
本日3 月1 1 日は、テレビなどでも連日報道されている「東日本大震災から1 0 年」という節目の日になります。
担任の先生から、福島県教育委員会から配布された「東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故を振り返り」について説明があったことと思います。
1 0 年前の時は、皆さんは3 歳、4 歳、5 歳とまだ小学校にも入学していなかったですね。ほとんど、その時のことを覚えていない人、覚えていても詳しいことはわからないという生徒の皆さんも多いと思います。
中には、「あの当時のことをあまり思い出したくない」とか、「地震や津波そして原発事故」の映像や写真を見たくない生徒もいるかもしれません。その場合は、無理をして見なくてもかまいません。しかし1 0 年前のことを殆ど覚えていない生徒の皆さんにその当時から学ぶ教訓を含めて敢えて写真を見せたり、当時の話をしたいと思います。
その前に大震災で亡くなられた方々を追悼するために黙とうしたいと思います。本来であれば、大地震のあった1 4 時4 6 分に黙とうをすべきですが、明日の卒業式のために卒業生は給食の後に下校しますので、正午を目安に1 分間、黙とうします。一人ひとりが亡くなられた方々のご冥福をお祈りしてほしいと思います。
それでは、校長先生が「黙とう」と言いましたら、1 分間の黙とうをお願いします。
< 黙とう終了後>
それでは、校長先生から、皆さんにお話をしたいと思います。
1 0 年前、私は久之浜中学校の教頭として勤務していました。あの日の午前中は中学校で卒業式が行われ、私達先生方も式を無事に終えて安堵していた時に、あの未曽有の大地震が起こりました。最大震度6 強の縦揺れ、横揺れが約3 分続きました。約1 か月前に起きた地震も震度5 強と大きかったですが、その時をはるかに上回る大地震でした。何かにつかまっていなければ、立っていられないほどの揺れでした。
あれから1 0 年が経過しています。あの時を思い出したくない人もいるでしょう。でも1 0 年が経ち、皆さんも含めて私たちは、これからに目を向けていかなければなりません。
実際に起きた現実から目を背けるのではなく、あの時からの教訓をこれからの未来に生かすことも私たちの使命でもあります。ですから、ここで、私が勤めていた久之浜地区での震災時などの写真を何枚か見せます。
< 数枚の写真を見せて解説します>
地震が収まり、私の脳裏にまず浮かんだのは「生徒達は大丈夫だろうか? 」ということでした。自分の家族の安否も気になりましたが、先生方は全員、私と同じように最初に心配したのは、やはり生徒達のことでした。すぐに電話で確認を取ろうとしました。しかし電話は回線がパンクして繋がりません。そこで安全安心メールやS N S で連絡を取り1 日経過して生徒全員の無事が確認されました。
ただ、女子生徒で一人だけ、九死に一生を得た生徒がいました。名前は遠藤涼香さんです。当時、遠藤さんは母親と平方面の病院に通っていました。そして新舞子の海岸線を車で通っていた時のことです。1 0 M を越える津波が彼女を襲ったのです。車は津波で大きく飛ばされ、彼女は死を覚悟したそうです。そして押し寄せた波が海に向かってものすごい勢いで引く時に奇跡が起きました。彼女の乗っていた車が木の枝に挟まって難を逃れることができました。
彼女の人生は、このことを契機に大きく変わりました。彼女は高校生になり、この辛い経験を多くの人に伝えていこうと様々な場所で活動を始めました。そして復興大使としてアメリカで演説をすることもありました。
彼女に一度、この活動を通して何を訴えかけようとしているかを聞いたことがあります。
彼女はこう言いました。
「あの大震災や津波そして原発事故は、確かに不幸という言葉では言い尽くせないほど辛く悲惨な出来事でした。でも私は九死に一生を得た私にとって「生きることの大切さ、生きることの素晴らしさ」を感じ取れるようになりました。私はこの生かされている命を世の中で苦しんでいる人のために役立てたいと思います。ですから私は医療関係の仕事、看護師になります」と目を輝かせて話したことを今でも鮮明に覚えています。
そして彼女は、念願の看護師になりました。東日本大震災と同じくらい大変なコロナ禍において、彼女は精一杯人のために頑張っています。それはなぜ? 彼女に聴く機会が今はありませんが、たぶん彼女はこう言うと思います。「せっかく生かされた私の命です。一人でも多くの人を救うことが私の生きがいです」と。
3 年生の皆さん、明日は皆さんの晴れ舞台、卒業証書授与式ですね。これから辛いこと悲しいこともきっとあるでしょう。でも人は辛いこと、悲しいことを乗り越えた時に、楽しいことや嬉しいことがより強く感じ取れるようになります。1 ・2 年生も含めて皆さんには私が常に言ってきた「今を精一杯生きる」「逆境を乗り越えた時こそ、大きな成長がある」という言葉を信じて生きていってください。新型コロナの問題がいつ収束するか、はっきりしませんが、あなたたちには未来があります。夢があります。それに向かって遠藤涼香さんのように、生きている喜びを感じてください。そして、あなたの未来はあなたにしか切り拓くことができないのですから、生かされている自分を見つめてそして前進してください。」
これで、校長先生から皆さんへの道徳の特別授業を終わります。皆さんが少しでも私の話から感じ取って行動に移してくれたらとても光栄です。 植田東中学校長 若松 真一
本日3月11日(木)は、東日本大震災から10年が経過した日です。
そこで、当時3~5歳であった生徒に東日本大震災から学んだ教訓をこれからの未来に繋げるための校長による「道徳特別授業」を行いました。
生徒達は、11時55分までは、担任の先生から下の写真にある県教委からのリーフレットの説明をしてもらい、正午ちょうどに1分間の黙とうをしました。その後、テレビモニター越しに校長から全校生に対して「道徳の特別授業」を実施しました。
生徒一人ひとりが、東日本大震災を見つめ、そして未来に向かって前向きに頑張れるような講話ができたとしたら本望です。
なお、生徒への特別授業の内容は、この後、全文を掲載しますので、ご一読いただければ幸いです。
【久之浜地区に津波が押し寄せた写真】
【津波で家がいとも簡単に裏返すほどの強大な津波の威力をまざまざと見せつけられ、自然の怖さを知りました】
【津波の後は、火災。一昼夜、久之浜の街を火災が襲いました】
【安否確認で久之浜中の教職員も3日間、寝ることができませんでした】
【放送室で講話をする校長の様子】
【モニター越しに話を聴く生徒達】
【生々しい被害の写真を見る生徒達】
【真剣に話を聴き、涙ぐむ生徒もいたと聞きます】
【県教委から生徒一人ひとりに配布されたリーフレット】
本日10日(水)の午後、3年生は、10月1日以来の第2回クラス対抗球技大会を実施しました。
男子は校庭でソフトボール、女子は体育館でバレーボールに久しぶりに体を動かし、笑顔で和気あいあいと戦っていました。
その模様については、この後、ビデオでソフトボール編とバレーボール編に分けて配信しますので、卒業まで残り2日になった3年生の盛り上がりを見ていただければと思います。
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