こんなことがありました

にっこり 東日本大震災追悼

11年前の今日、平成23年(2011年)3月11日。14:46に発生した東日本大震災…。

今日の大休憩に、校内オンラインで追悼の式を行いました。

校長からは次のような話をしました。

 

 今から丁度11年前、今の5年生が生まれたころのことです。平成23年(2011年)3月11日午後2時46分、宮城県沖で大きな大きな地震が発生しました。
 地震の揺れによって、たくさんの建物が壊れる被害が起きました。でも、被害はそれだけではありませんでした。地震の後に高さ10m以上(最大40m)もある津波が人々を襲いました。その津波により、さらに多くの建物や、多くの人の命が奪われました。その上、その津波は双葉郡にあった原子力発電所を襲い、電気設備が海の水のよって壊れてしまい、結果として、放射能という人の健康に大きな影響を与えるものが漏れ出しました。
 校長先生は、その時、別の小学校の6年生を担任していました。この時の地震を、その学校の3階で体験しました。2~3分間揺れが続いたようでしたが、何時間も揺れていたように、長く感じました。地震が収まった頃、突然空が暗くなり、雪が降ってきたのを昨日のことのように覚えています。幸いなことに、学校の子ども達も、先生方も自分の家族もケガをすることなく無事でした。けれど、それからの生活がたいへんでした。スイッチを入れても電気はつきません。蛇口をひねっても水は出ません。トイレに行っても、水が出ないため流すことができません。お店には食料が何もなくなりました。ガソリンスタンドに行っても、車のガソリンはありませんでした。
 校長先生の学級では、津波で大好きだったおじいちゃんやおばあちゃんを亡くした人もいました。この時の地震や津波により、15899人の人の命が奪われました。また、未だに行方不明の方が2526人もいます。その上、原子力発電所の放射能被害を受けた地域の人たちの中には、11年経った今でも、自分の家に帰ることができない人も大勢います。避難生活を今でも送っている方々もいます。
 だからこそ、この3月11日をきっかけに、命を大切にすること。電気や水などを大切に使うこと。困ったときはお互い様で、助け合うことなど、様々なことを学びました。
  
 その頃生まれていた高坂小学校の5、6年生の皆さんの中にも、東日本大震災を覚えている人はいないでしょう。3月11日の今日は、11年前のことを想像しながら、亡くなられた方々、未だに行方不明の方々のことを思うとともに、今でも辛い思いをしている方々が少しでも早く癒やされるように、地震、津波、原子力災害を受けた福島県が一日も早く復興できるように…と祈る日にしましょう。

 

その後、教頭のアナウンスにより1分間の黙とうを捧げました。