川部小に込めた地域の願い

川部小は創立151年

虫眼鏡 川部村立川部小学校~勿来市立川部小学校~いわき市立川部小学校

 1945年(昭和20年)、第2次世界大戦が日本の敗戦で終わり、新しい「日本国憲法」の下で、現在の六-三-三制による新しい学校教育が始まりました。1947年(昭和22年)、名称も「川部村立川部小学校」となり、高等科は「川部村立川部中学校」として分離されました。(ただし、中学校が新築される1951年(昭和26年)までは川部小の校舎で中学生も勉強していました。)

 1947年(昭和22年) 校歌制定

 1953年(昭和28年) 第1校舎東側を改造して「講堂」とする

 1955年(昭和30年) 町村合併により「勿来市立川部小学校」と改称

 1959年(昭和34年) 給食開始

 1966年(昭和41年) 市町村合併いわき市誕生により「いわき市立川部小学校」に

 1973年(昭和48年) 体育館落成 創立100周年記念事業

 戦後の復興景気により石炭産業も盛り返し、1949年(昭和24年)児童数が再び1,000人を超え、1,022人になりました。しかし、1950年代になると石炭から石油へのエネルギー転換が進み、日本の、川部の経済を支えてきた石炭産業が縮小していきます。

 良質な石炭がとれなくなってきたことに加え、炭鉱事故、さらに国のエネルギー政策の石油への転換も加わり、川部地区の炭鉱も次々と閉山していきました。それに伴い、児童数も1959年(昭和34年)の938名をピークに減少していきました。創立100周年の1973年(昭和48年)の児童数は314名なので、16年間で約3分の1になってしまいました。

 「黒いダイヤ」と呼ばれていた石炭ですが・・・ (石炭:川部小蔵 全長約50cm 100kgを超える重さです。)