こんなことがありました

曇り 12/6今日の高坂幼稚園

 非常に寒い朝となりました。雪にならなくてよかった(子どもは思わない)です。

 発表会明け、みんな元気に登園しました。

 朝の様子

 大発表会ごっこ

 ダンスを中心に、クラス関係なく、踊りたい子がステージに。みんなほかのクラスのダンスがやりたくてうずうずしていたようです。

 勇気100%

 恋するフォーチュンクッキー

 よさこいソーランロック

 フラガール ~虹を~

 Dynamite

 フォーチュンクッキーのアンコール

 発表会の思い出の絵

 リースを作ります。

 明日はもちつき

 準備をしました。

 

 付録

 発表会を2部に分けた関係上、2部はすみれ組だけの編成となりました。着替え等に時間がかかるため、幕間(“まくあい”と読みます)に園長がクイズを出しました。もも・ゆり組の方は聞いてないので、ここで簡単にお知らせします。

 女児が「フラガール」を踊ることにちなんで、炭鉱やハワイアンズについてお話しし、合間にクイズを出しました。クイズは3択でどれも超難問でした。

 常磐ハワイアンセンター、今のスパリゾート・ハワイアンズが開業したのは、昭和41年(1966年)で今から56年前です。なぜ、あのような施設が作られたのかというと、エネルギー革命で、石炭から石油へという流れがありました。やがて常磐炭鉱も「閉山」せざるを得ず、そうなると職を失う人が増えるという事情がありました。 
 この高坂幼稚園も、常磐炭鉱に関係があります。常磐炭鉱や関連企業の生協「常磐生協」というのがありました。

Q では、高坂幼稚園の前身は何というでしょう?
 ① 常磐生協立野幼稚園  ②常磐生協御殿幼稚園  ③常磐生協桜井幼稚園  (②)

 常磐炭鉱の閉山に伴い、常磐生協も解散したため、昭和47年からいわき市が管理運営することになり、高坂幼稚園と名前も変わりました。

 園長も、内郷と湯本の炭鉱住宅に9年間住んでいたので「フラガール」の映画は懐かしさしかありませんでした。高坂幼稚園のあたりは、住吉抗という炭鉱の入り口でした。高坂二丁目は、ズリ山です。ズリというのは、石炭採掘の時にいっしょに出てきた岩石で、それを積み上げていってできたのがズリ山です。40年くらい前までは、ズリ山は「ズリ山」だとすぐにわかりましたが、今は木々が生え、さっぱりわからなくなりました。
 炭鉱住宅は、内郷では、内町、宮町、白水町にはたくさんありました。たとえば、宮町のセブンのところ、市営住宅と県営住宅がありますが、あの辺一帯も炭鉱住宅でした。湯本だと、八仙、浅貝に多かったです。
 炭鉱住宅の多くは、トイレも共同で、外にありました。お風呂も共同浴場に通っていました。もちろん温泉で、無料です。というわけで、園長も常磐生協の幼稚園に通っていました。

Q では、出身幼稚園はどれでしょう? (新しい名前にしてあります)
 ① 高坂幼稚園  ② 内町幼稚園  ③ 宮幼稚園 (②)
 内町幼稚園は「綴幼稚園」という名前でした。共同浴場と併設でした。知る範囲では、宮幼稚園、湯本第二幼稚園、湯本第三幼稚園も常磐生協の幼稚園でした。
 この常磐生協幼稚園出身のフラガールもたくさんいたでしょうね。

 石炭の需要があった頃は、会社も大きく、働く人も多く、生協もそうですが、関連企業も多く作られ、病院も湯本と内郷に2つ持っていました。
 内郷のはずいぶん前に取り壊され、内町小のそばにマンションが建ってるんですが、あそこにありました。内町立町の道は今は車が通れる道路ですが、昔は人しか通れない道があるだけでした。湯本の病院は今も同じところ、ほるるの近くにあります。桃太郎は桃から生まれましたが、私の長女は、その湯本病院で生まれました。
 さて、ハワイアンズを作った理由として石炭がだめになったことともう一つ、石炭を掘り出すときにどうしても温泉が出てきてしまい、もったいないけど捨てていたという事情がありました。
 新川には余った温泉が混ざっていたので、ぬるかったです。グッピーが泳いでいた、というのは有名な話です。
 当時の社長の中村豊さんのリーダーシップと先見性で、斜陽産業である石炭業から、レジャー産業に見事に転換し、多くの雇用を生み出したというのは、すごいお話です。
 その豊かな温泉を使って、お風呂やプールに使うのはもちろん、あの建物全体を暖かくするのにも温泉は使われました。そして日光の通る温室のような建物にしました。お気づきのとおり、ハワイアンズのドームは、柱がありません。
Q では、あのドーム建築の工法の名前はなんというでしょうか?
 ① ダイヤモンド☆ユカイ  ② ダイヤモンドトラス  ③ ダイヤモンドほしい (②)

 昔のこの内郷地区は、線路だらけでした。もちろん石炭の輸送のためです。白水阿弥陀堂の方とか宮町の宮保育所の前の道とか、御台境から中央インターの方にも線路が延びていて、内郷駅につながっていました。けっこう勘違いされますが、炭鉱の会社は常磐炭鉱だけではなくて、古河好間炭鉱とかほかにも中小の炭鉱会社がありました。中でも最大だったのが常磐炭鉱だったわけです。
 旧6号国道がありますが、石炭用の線路が国道を横切っていました。だから、貨車が出入りするときは、国道を遮断機で停めていました。
 その一大石炭集積地の内郷駅、実は「内郷」駅になったのは、昭和31年です。

Q それ以前の名前は何駅でしょうか?

 ① 綴駅  ② 御厩駅  ③内町駅 (①)
 いわき市に合併する前の内郷市は、内郷村・内郷町として、綴、小島、内町、白水、高坂、御台境、御厩、宮の各村と合併しています。駅は、当時の綴村にあったため駅名はそうなりました。

 ほかに、石炭の元となった木の名前が「メタセコイア」であること、ほるるの周囲はメタセコイアが植えられていることをお話ししました。また、ハワイらしからぬ、寒いところにすんでいるペンギンが、昔はハワイアンズにいたことなどもお話ししました。