日誌

白水小学校の歴史

NEW 白水小学校の歴史① 私塾「智徳学館」の誕生

 白水小学校の沿革を読むと、明治時代の「西南の役」から、その長い歴史が始まります。

『安政2年。片寄平蔵氏が弥勒沢(白水町廣畑地内)に於いて石炭を発見し、採炭販売に従事するが、小規模な狸掘りの域を出なかった。明治10年、西南の役によって京浜工業地区へ九州炭の供給が絶えて以来、常磐炭田は中央の事業家の注目するところとなり、本格的な開発が行われ、明治27年頃から近代産業としての形態を為すに至った。明治30年頃には、入山採炭株式会社、白水炭鉱株式会社、岡田炭鉱、山口炭鉱等が白水地区にあって、事業は盛大となり、職員・従業員が急激に集まった。当時は、公立学校が内町にあったが、一日に数十回絶え間なく石炭運搬の鉄道が往復していたので通学が危険なばかりでなく、炭鉱開設直後で橋梁等もない悪路であり、且つ遠路のため、通学が困難であった。こうした状況を憂いた東本願寺入山説教所の藤内得成師は私塾設立の計画を立て、明治31年に白水町川平71番地に「智徳学館」を設立した。』

 この私塾「智徳学館」が白水小学校の前身でした。

 

0