白水小学校は

 平成31年3月31日をもって

  閉校となりました

 明治31年、常磐炭坑で働く人々のお子さんの学び舎「智徳学館」としてこの地に開設され、炭鉱が経営する私立学校を経て、昭和28年に独立して以来、数多くの卒業生を輩出してきた白水小学校は、児童数の減少に伴い、平成31年3月31日をもって閉校いたしました。

 3月23日には、いわき市長、いわき市議会議長、いわき市教育長をはじめ、250名もの方々のご出席をいただき、「閉校式」を挙行いたしました。

 白水小学校という学校としての形はなくなりますが、皆様の記憶の中にある白水小学校の思い出は永遠です。

 ありがとう、白水小学校

 

日誌

白水小学校の歴史① 私塾「智徳学館」の誕生

2018年9月11日 12時30分

 白水小学校の沿革を読むと、明治時代の「西南の役」から、その長い歴史が始まります。

『安政2年。片寄平蔵氏が弥勒沢(白水町廣畑地内)に於いて石炭を発見し、採炭販売に従事するが、小規模な狸掘りの域を出なかった。明治10年、西南の役によって京浜工業地区へ九州炭の供給が絶えて以来、常磐炭田は中央の事業家の注目するところとなり、本格的な開発が行われ、明治27年頃から近代産業としての形態を為すに至った。明治30年頃には、入山採炭株式会社、白水炭鉱株式会社、岡田炭鉱、山口炭鉱等が白水地区にあって、事業は盛大となり、職員・従業員が急激に集まった。当時は、公立学校が内町にあったが、一日に数十回絶え間なく石炭運搬の鉄道が往復していたので通学が危険なばかりでなく、炭鉱開設直後で橋梁等もない悪路であり、且つ遠路のため、通学が困難であった。こうした状況を憂いた東本願寺入山説教所の藤内得成師は私塾設立の計画を立て、明治31年に白水町川平71番地に「智徳学館」を設立した。』

 この私塾「智徳学館」が白水小学校の前身でした。