日誌

NEW 白水小学校の歴史④

 上の写真は昭和30年度の運動会の写真です。校庭の端から端まで子どもたちがずらりと並び、応援する保護者は二重、三重となって校庭を取り囲みました。

 独立した昭和28年に550名だった児童数は昭和33年には775名まで増加し、昭和35年には全学年が3学級編成の全18学級となりました。白水小学校が一番賑わっていた当時の写真の1枚です。

 歴史上、白水小学校に最も児童数が多く、賑わっていたころですが、炭鉱の私立学校から始まり、炭鉱で働く方々の子どもが学ぶ学校であった白水小学校にとって、炭鉱の閉山に伴う不況の波は大きなものであったようです。

 本校第3代校長の佐藤恂先生は、当時の様子を次のように述べています。

「私が白水小学校長を拝命したのは昭和34年の4月だった。その当時の白水小学校は独立日が浅く内容外観共にやらなければならない仕事はあまりに多過ぎたので何から手をつければよいかと思い悩んだ。当時、炭鉱は不況のどん底にあった。こうした生活の不安は無邪気な子供たちにも影響しない筈はない。何とか救う道はないものかと考えてはみたものの、怒涛のように不況の荒浪はいかんともしがたい。子供たちが学校にいる時だけでも楽しく明るく暮らさせてやりたい。それが私に出来る唯一の道だと知った時、私の心は決まった。(中略)

 校舎が暗いのは天井板や壁がすすけているからだし、うるおいがないのは、緑の木や花がないからだ。原因が分かれば治療は簡単だ。簡単だといっても金があればの話。不況に悩んでいる父兄から寄付を集めることは絶対にできない。こうなったら教師自らの手でやるしかない。先生方に相談したら喜んで賛成してくれた。

 ペンキを塗るのは器用な松田先生が中心となってやることにした。授業が終わってから始めるのだから、どうしても五時か六時頃まではかかる。冬の日は短く、暗い道を手探りで帰った日が何日あったか知れない。

 壁を塗るのは私が引き受けた。これは簡単だ。塗料をべたべた塗ればよい。穴の所は新聞紙をとかしてのりを混ぜて穴につめこみ、その上に塗料を塗る。

 樹木を集めるのは、私と佐々木教頭が先頭となる。木を寄付してもよいと聞くと、2人でリヤカーを引っ張ってどこまでもおしかけていく。掘り起こすのも容易でないが、植え付けるのも骨が折れた。空き地には草花を植えた。学校が見違えるように美しくなった。花園のような学校だと言われて嬉しかったものだ。」