出来事

「青春の刻(とき)」と銘打たれた時計

 平二中の玄関そばの一画に「青春の刻」と銘打たれた時計があります。昭和25年度第3回卒業生から喜寿(77歳)の記念にと、今から8年前の平成24年6月に贈られたものです。

 時計には、次のような説明が付されています。

 青春の刻(せいしゅんのとき)

 贈 喜寿記念

 昭和25(1950)年、朝鮮戦争があった年です。

 わたしたちが3年生になった時、旧平二中と旧神谷中が統合されてこの鎌田山の新校舎に入りました。新校舎とはいえ未完成で、教室には窓枠も入っていませんでした。水道も未設置で、水は大きな桶に一日一杯だけ、山坂を馬車で運び上げられていました。もちろん生徒は水筒持参でした。体育館も設計段階で、狭い校庭には工事後のおがくずやかんなくずが堆積し、それを除けば粘土質の山土が顔を出して一雨ごとにぬかるみや無数の水たまりを出現させていました。

 3年生6学級で300人余り。毎日校舎内外の整備作業に汗を流しました。また、全校生で夏井川原から砂を運び、校庭に敷き詰めること数度。校庭は少しずつ改良されていきましたが、その間部活動も満足にはできない辛い日が長く続きました。

 それでも、わたしたちにとっては忘れがたい青春の日々でした。そのせいでしょうか、わたしたち旧平二中と旧神谷中との生徒の絆は固く、卒業後これまで10回の合同クラス会を催して友情を確かめてきました。このたびの金環食の日に、喜寿(77歳)記念として第10回の合同クラス会を開催し、母校の栄えある永遠と在校生のみなさんがわたしたちが愛してやまないこの学び舎で、時を大切にしつつ有意義な「青春の刻」を創り出されることを熱望してこれを贈ります。

 平成24年6月 時の記念日に寄せて

 昭和25年度第3回卒業生一同

 「それでも、わたしたちにとっては忘れがたい青春の日々でした。」という一文が心に残ります。在校生はどう感じるのでしょうか。

 贈り主の卒業生の皆様は、現在は85歳になれれているかと思います。